『僕らの雷鳴と、変わらない愛を、君に。』

ライブ
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大阪公演 〜この瞬間的な最高箱のコールを 共に歌おう ここに刻もう〜

…まさか大阪公演のチケットが生えるなんて思いもしていなかった。諸事情から、いきなりニョキっと生えてきた、というのが正しいだろうか。この界隈は相変わらず、怖いものである。

このチケットの生え方に関して、詳しい情報は書けないが、 ミクスパート検定対策Discordサーバー上での話が膨らんで、こうなったものである。

あまりにチケットが生えた経緯が急すぎて、画像があまり残ってないという失態もあるし、なんなら「シー・リリィちゃんの概念」も「いつものイベントの用」の服も持って行かず、一般人擬態モードで行っていたので、気がつかなかった人もそこそこいると思う。

まぁ、それくらい急に生えたチケットだったと認識してもらえるならばうれしい限りである。とはいえ、久々に名刺を増産したので、大阪からは配ることにした。マジカルミライ10th Anniversaryで配っていた名刺は透明名刺という、一枚で同人誌の原価並みのコストゆえに大量量産に向いていなかったが、今回のバージョンは角丸カットや、透明な名刺ではなくして、数百枚一気に量産した記憶がある。

実は裏面に「ARギミック」が仕込まれていて、単なる「改悪」ではないよう、ギリギリに作った割には作りこんだ気がする。


さて、大阪昼公演では2階席に座る機会があった。実は僕、マジカル観覧シートを2021から毎年取るくらいには、着席指定のスタンディング禁止エリアは「ゆっくり、ライブ演出を見られる」点において好きである。

そんな理由から、2階席に座れた事で、上からThunderboltの演出などを見ることができ、プロジェクターの構成やLEDライトやバンドメンバーなどが一目で全体を見られて大満足であった。また9曲近くの楽曲が変わっていたのも、驚きのポイントであった。

また、2階席からはかなりプロジェクターが見えていて、それも興味深かったものである。かつて、レイア姫を目指して、わざとプロジェクターが見える配置にしていたと語るセガのプロデューサーの内海氏の言いたかった事を少し思い出していたりした。

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一方熱狂度という点では、2階席では消化不全のような感じになった。みんな声を出さないし、ペンライトの振り方も「不慣れ」と表現すべきだろうか、冷めた感じに思った。ある意味、セカライ1stのような感じで、今どきっちゃ今どきなのかもしれないけれど、どこか物足りなさを感じた。


ところで、されみあさんの繋がりもあって、昔からの知り合い (旧HN、神代悠斗時代) は大阪寄りのコミュニティに属している人が多い。当然、大阪公演にも多かった。榊さん (たゆんP) も、その一人であろう。(少し遅れ気味だが、マジカルミライのスクリーンサイズ論争記事でもおそらく近々出てくるはず…?)

Photo by あまここさん (@amagocochi02)

だから、夜公演では1Fの後方にあえて向かい、声出しがメインな人々のエリアに向かった。一部では「されみあゾーン」なんて呼ばれているアレである。全席指定のマジカルミライでは実現が難しいものだし、昼公演の反動だったともいえるし、何よりも一度はあの世界の熱狂も見てみたかったのである。

この世界は熱狂しながら、上の三角形がLEDモニターだって見抜いて目で解像度を数えたり、PA席のやっている事や音の波形データを見たりする、やべー場所でもあるのだが。

叫んで、叫んで、叫びまくった。正直記憶がぶっ飛んでしまうくらいに、酸欠一歩手前だったのかもしれない。いま思い起こしても、おそらく大阪が一番声を出したと思う。さて、少しテーマソングの歌詞を見てみよう。

さあサンダーボルト 雷鳴を
この感情的な一瞬を
共に描こう ここに刻もう

THUNDERBOLT / jon-YAKITORY feat. 初音ミク

このライブで、ようやくサブタイトル「THUNDERBOLT」が指したかったものが、MCで言っていた「私たちが放つ、稲妻のようなきらめき」も一つの正解であったとしても、あくまで部分的であって、かえって僕らの帰ってきたコールそのものだったのではないか、という自信を持つことが出来たのである。

それと同時に、いかに2~3年間もの間、奪われていた声が「なくてもいっか」って容易に諦めていいものじゃないって知ったのと、その「イベント開催の代わりに奪われた声」を象徴する、ある楽曲命に嫌われているを、唯一演奏されたその地で、彼女ミクが再び歌うのを見られて、涙していた。ただ、「生きろ、生きてくれ。君は…」って声にもならない声を、まるで酸欠で死にかけている魚のごとく紡いでいたと思う。

あと、あの箱で「魔法みたいなミュージック!」を見られたのも感慨深いものだった。まさか、これを実際にする事になるとは予想もしてなかったからだ。

あの瞬間、一つ一つに感じた喜怒哀楽の想い、つまり感情的な一瞬を、我々の雷鳴箱のコールという形で、ピアプロ・キャラクターズ達と共に歌い、描き、刻み付けるという事が本質だったのか、と大阪公演の「されみあゾーン」で体験する事が出来た。やはり、されみあ女史におかれては、「箱に入る事こそが重要。見るのは円盤でいい」とか、最初は「まさか」と否定がちの考えを有する事が多い本質性をドつくのが上手いと思うばかりである。

ある意味、それだけ僕も長く界隈に浸かってきた来たのかもしれないね。ミク廃7年生、自分は「まだまだ」と思っているが、どうやら短い方では無さそうなのが怖い。


そう思いながらも、ライブは終わりを迎え、僕は東京に帰還すべく難波エリアから新大阪まで急いだ記憶がある。まぁぶっちゃけ後続のぞみでも (自由席になってしまうが) 帰れるには帰れたが、今度こそ、これが最後なんだ、と思いを噛みしめて、Zepp Nanbaを後にした。

今回も、「次の鼓童か、ミライで!」と言って。

のぞみ468号で東京に帰還した。これが最後だと思って、その記憶の幸せさを噛みしめて…

…二度あることは三度ある、とは言い得たものである。この時は最後だと思っていた大阪公演の翌週、すーみんさんをはじめとした福岡公演に参加した人々を見て、参加できまいか、と検討を始めたものである。

「就活」という、当初はTHUNDERBOLTにいけない理由だったイベントが、まさか僕を再び導くとは予想はしていなかったが。

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