『いつかまた大きな花弁を咲かせて、僕らはミク鼓童で逢おう』

今朝方、2年間にも渡ってほとんど稼働してなかった、ある公式アカウントが、ツイートをした。

『初音ミク×鼓童スペシャルライブ2023~結~』が開催する、といったものだ。このライブ、元々は2020年に同じ「~結~」として開催予定だったものが、かの流行病によって中止になったもので、3年後にようやく、というものである。

Twitterでの期待値はものすごく高く、いかにファンの多くが心待ちにしていたかを感じる内容であった。そして、僕にとっても涙し、マジカルミライ10th以上に、コロナによって狂った歯車が、3年経ってようやく元に戻ろうとしているようにも感じたものであった。


話を2017年3月に戻したいと思う。当時はまだ前のハンドルネーム、「神代悠斗」でやっていた頃の話になる。1ヶ月もしないうちに、僕は日本の地を離れて、遥か彼方に存在するアメリカに向かって飛び立つことが決まっていた。

もちろん向こうでMIKU EXPOに行けるか (シカゴは開催歴があった)、一時帰国とライブイベントがぶつかるのならば良かったのだけど、運が悪ければ最長で3年間 (2020年春) までは初音ミクのこのようなイベントに参加することなど叶わない、という現実を前にしていた。

そんな自分が最後に日本で参加できるイベントが、『This is NIPPON プレミアムシアター 初音ミク×鼓童 スペシャルライブ』 (以下ミク鼓童’17) だったのだ。

このイベント、当初はイロモノ的な扱いで、バーチャルシンガーが出ないのでは?とか懐疑的な目で見られていた事もあって、実はチケットはあまり売れず、当日券が売られていたイベントでもあった。

けど協力にSEGA feat. Hatsune Miku Project (当時はProject DIVA関連のことを指してた) がいるとか、ポスターがMIKU EXPO 2015 Shanghai以来のFモデルをそのまま使うとかを見て、おそらく通常のライブと同じだろう、と想像していたし、まぁこれが最後になるので行かないという選択肢は存在しなかった。

結果は予想通りの、MIKU EXPOフォーマットに鼓童が入り込む、という予想していた結果となった。今でもTwitterで初演感想を見て、いきなり弾丸で参戦した人を覚えてる。それくらい皆の予想を、良い方向に裏切ったライブだったのだ。

そして、僕にとっても刺さる部分が多々あったのである。鼓童の服をきて太鼓を叩く初音ミクは予想できたにせよ、鼓童側メンバーは初音ミクが少し上側で歌い、踊る中、下の段で和楽器でもって共演していたのである。今ほどバンドメンバーが初音ミクと一緒に演奏という認識が強くなかった (基本的には定位置から移動することは少ない) あの頃からすると、驚きしかないものであったのだ。

また選曲も刺さるものが多かった。鼓童側ソングにしても、バーチャルシンガーソングにせよ、和楽器との相性の良さとアレンジに圧倒されていたものである。

このライブにおける最後の曲である『桜ノ雨』という歌は、ミク鼓童’17の広告にもかなり使われ (事実上のテーマ曲的な側面を抱えてたと思われる) 、元々卒業ソングとして有名だが、この国を離れ、界隈から別れる自分にどこか響いたのは、今でも忘れられない記憶であった。

2022年のマジカルミライ10thで、再び歯車が回り出したように感じたのも、同じhalyosy氏作曲のBlessingだったので、何かの縁を感じなくもない。

そうして、「出会いの為の別れと信じて」僕は日本の地を離れた。


2018年の夏、「そら」のHNも1年くらい使った頃に、偶然にも一時帰国することとなった。日本到着日は6月1日ということで準備していたら、こんなツイートが流れてきた。

たとえ飛行機が欠航しても、3日のライブには参加できそうだった。なんなら、海外参加者枠 (ミク鼓童においてはスポンサー席と同じで、かなり前の席が割り当てられていたとか後に聞いた) を使う事さえ出来た。

しかし同じ日に英検があったのだった。というか親に「3日はダブル受験だからね」って言われるだけ言われて予定が狂ったのを覚えてる。正直、受験料なんぞ知るかってサボる事さえ考えたけれど、英検1級とミク鼓童’18を天秤にかけた時、僕は英検1級を選んだのだった。

実はマジカルミライ2019でも同じような状態で、この時とは違って受験会場から直接向かうという無理をしたら行けたのに、念には念をとして行かなかった。アメリカに居た頃の自分は、「いい子」であろうとし過ぎて、自分を抑え込んでいた気はする。そうじゃないと生きられない世界だったからだろうか。いずれにせよ、アメリカに居た3年間は「行けたのに日和って行かなかった」のである。


日本への本帰国が決まった2020年2月、再びあのライブがNHKホールに戻ってくる、といった内容が発表された。

マジカルミライ2020が帰国後初だと想像していた中で、それより前に予定が入ってくるのは驚きではあったが、アメリカに行った時も、アメリカから帰ってきた時も、初音ミク×鼓童っていうのは縁を感じなくもなかった。当然、行くつもりで考えていたし、チケットだって申し込んでいた。

何よりも、これが最終章だと言われていた事もあって、ちゃんと参加したかったのだ。
アメリカに行って、帰ってきて、ちゃんと日本に帰ってきたよって言いたかったのである。

とはいえ「海の向こう事」なんて2019年末に思っていた謎の肺炎が世界に広がっていき、帰国直前に寄ってきたニューヨークがゾンビタウンになった事からも世の中のすべてが変わってしまった。新型コロナウイルスの事である。

ミク鼓童’20は無期限延期となり、界隈は文化を失い、どこか歯車が狂っていったように感じたのだった。無期限延期は五輪の完全無観客開催確定や不祥事によって、人々から期待が薄れていくのに伴って、ひっそりと中止になった。


2020年の新型コロナウイルスで壊れた歯車がどうなったかは、マジカル10thのブログ記事の「感情的なあれこれ」を読むといいと思うけれど、当初はかなりアメリカに行った事や、強硬的にミク鼓童’18に行かなかった事を悩んだ。

マジカルミライ10th Anniversaryはその点で、とりあえずの回復傾向を印象付けるものではあった。実際、昔に比べて出来る事は増えたし、次のミライを期待できるようになりつつある。2020年の頃に比べたら、アメリカに行って行けたチャンスを自ら手放した事を後悔する事は減った。

とはいえ「マジカル10th Anniversaryで再び動き出した」とは感じていても、それは歯車のリスタートに過ぎなくて、失った何かは帰ってこないと思っていた。ワガママはいけないとは知りながらも、どこかで取り返したい何かがあった。初音ミク×鼓童シリーズは、その一つであった。

元々、このコラボ自体が五輪関連プロジェクトの一つだったこともあって、2020年の中止後にもう一回!は難しいものだろう、というのが大まかな予想だった。実際、2023年の今回の公演は「This is NIPPONプレミアムシアター」が外れていて、もはや五輪関係プロジェクトではない事を伺わせるものである。完全に (ビジネス的な損益は計算しているだろうが) 厚意に近い性質で行っているようにも思う。

いずれにせよ、もう一度、鼓童の演奏と併せて初音ミクの歌唱を見れるのは、とてもうれしいものである。


ミク鼓童’17で最後に聞いた曲、桜ノ雨はこんな歌詞で終わる。

いつかまた 大きな花弁を咲かせ
僕らはここで逢おう

桜ノ雨 by halyosy (Link to Youtube)

かつて、創作なんてしない一介の高校生ファンだった自分が、モデリングやこういったサイトを展開するようになった。18年に行けなかった理由の英検1級は無事に (この前) 合格したし、アメリカにどこか取り残されたままだった心を、ちゃんと日本に帰ってきたと思うきっかけになってくれると思う。

桜ノ雨がいうような「大きな花弁」になれたかは自信はないけれど、再びあの時の人々と出逢えるならば、と思う。僕は初音ミク×鼓童シリーズの最終章、「~結~ (MUSUBI)」で、ちゃんと戻ってきたよ、と言いたい。そしてその機会をくれたCFMや主催のNHKには感謝したいものである。

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