最近、ボカロが再び持ち上がっているような気がする。単にボカロPが自ら歌ったりとか、そういうのとは別にである。TVCMとかでもそこそこ見かけるようになった「プロジェクトセカイ Colorful Stage feat. 初音ミク」(以下プロセカ) の事だ。
このゲームを軽く説明すると、長らく「Project DIVA」(CFMボカロ単独の音ゲー) シリーズを出していたセガが、ゲームの開発をバンドリ開発元のCraft Egg (と分社したColorful Palette) に委託し、バンドリのテイストを載せつつ、チュウニズムに寄せた皮を被ったスマホゲームとして出したものだ。2019年のマジカルミライで立ち絵だけ出て始まったプロジェクトセカイは、リリース延期したり、ゲームの性質に賛否両論があったが、なんやかんだリリースから1年ちょっと経った訳である。
それを記念してか、セガとColorful Palette、そして親元のクリプトン・フューチャー・メディアが主催となって「プロジェクトセカイ COLORFUL LIVE 1st – Link」を開催する事になった。かつてProject DIVAが「販促目的」としての感謝祭シリーズを立ち上げたのと同じで、プロジェクトセカイもライブシリーズを立ち上げたのである。
初音ミクの様々なコンサートに行っていて、どうやらマジカルミライのフォーマットを流用したコンサートであると知った僕は、大学の期末試験期間中でありながら、都合よく金曜夜だけは時間を確保できたことから、急遽向かった訳である。
コンサート本体
ストーリーとしては「バーチャルシンガーとしての初音ミク」が観客 (豆腐とも) を「セカイ巡りの旅」に連れ回す、という体裁でライブが始まる。
書き下ろし楽曲ゾーン (前半)
前半の各ユニット2曲は書き下ろし楽曲であったが、それぞれのユニットの自己紹介でもあり、特徴が色濃く出ていた場所であったように感じた。
「Leo/need」は「努力で夢へ駆け上がる高校生」として、一方でもはや文化祭の出し物とは言えないレベルの感じがしたし、そこに一緒にいるセカイの初音ミクは我々の知る、ステージに立つ万能の主ではなく、彼女らに寄り添った初音ミクが一緒にステージ作りをしていたと言えよう。
「MORE MORE JUMP」は「可愛い、による日本のアイドル文化」を体現するステージ構成だったように思う。ある意味、このセカイの初音ミク・鏡音リンがステージ慣れしていたというか、マジカルミライで「祀り上げられる」ピアプロキャラクターズに最も近かったのかもしれない。
「Vivid Bad SQUAD」に関しては。実は (元々放置気味のプロセカの中でも) あまり触れてないユニットである事から、正直どういう表現が妥当かわからない。とはいえ、キレッキレなモーションに、自然とその場に溶け込んだ初音ミク・KAITOを見て、お見事!と思った。個人的には、普段想像のつかない初音ミクであるが故に良さを感じる。今度、ぜひストーリーを見なくてはと思った。
「ワンダーランズ×ショウタイム」は「現実に現れた遊園地」としてワンダーステージを現世に召喚してたし、やっぱりショーを作るユニットゆえに今回のライブで一番「空気をつかむ能力」を発揮していた気がする。ちなみに「potatoになっていく」のモーションには特徴点があるらしく、草薙 寧々のサビでの回転数がゲームでは2回転である (体力がついていない事から) ところ、一年以上経過した事から3回転になっていた。単なるゲームモーションの流用ではない事がこの段階ではっきり分かった。
「25時、ナイトコードで」は昨今の流行り「病み、アングラ系の純粋なクリエーター」だろう。もっとも、もっと病んだヤバめなクリエーターのように僕は思っていたので、「悔やむと書いてミライ」のモーションやレーザーの使い方が、紅白で見た欅坂46のような感じがしてイメージとの違いに慣れなかったユニットである。ちょっとキラキラしすぎていたというか、おそらく僕の「解釈違い」の一言で終わらせる事もできるだろうが、少しばかり「商業的病み」にも感じたのである。
中休憩
「25時、ナイトコードで。」のメンバー、宵崎 奏が疲れた、という事から始まる中休憩であるが、観客の観点から考えると、2時間もぶっ通しだと慣れてない人が疲弊してしまう為だろう。マジカルミライは2時間ぶっ通しの構成なので、実は相当ハードコアなライブだったのか?とか考えていた。
その間も「バックステージでの会話」という体裁でユニットメンバーの会話が流れる訳だが、性質的には声優ファン系に向けた演出だろうか。ところどころ、続く後半のカバー楽曲セクションに何が入ってくるか推測できる「要素」が散りばめられていたが、個人的にはそこまで興味を持った演出でもなかった。(セトリは見ずにサプライズでナンボって考えてるので)
カバー楽曲ゾーン +etc (後半)
「MORE MORE JUMP」の「メルティランドナイトメア」から始まる後半のカバー楽曲セクションであるが、ここからが本番な感じがしたのは、私がなんやかんだ初音ミク側の文化圏の人間だからだろうか。
古参ポイポイ、と言われるのはおそらく「ワンダーランズ×ショウタイム」の「テレキャスタービーボーイ」と「ミラクルペイント」、続いて「Vivid Bad Squad (こはね/杏/ルカ)」の「Just Be Friends」の辺りだと思う。
「テレキャスタービーボーイ」は3ヶ月ほど前に開催されたマジカルミライ2021の楽曲であった事から、「ミラクルペイント」と「Just Be Friends」は2000年代後半の楽曲として、初音ミクを追っかけてきた人にはなじみのある楽曲であった事が由来だろう。正直、ペンライトの振り方としては記憶してる範囲だったから、楽だったというのもある。
大トリを飾る曲はバーチャルシンガー達による「千本桜」で、国内としては久々の6人曲だった。勿論どんなライト層でも認識できる楽曲、として千本桜を選んだと解釈する事もできるだろうが、幕張メッセでは毎春、超歌舞伎も開催されており、初演が歌舞伎の演目「義経千本桜」と楽曲「千本桜」を融合した「今昔饗宴千本桜」だったことからも、「千本桜」を演奏する地としても最適なのである。
アンコール
各セカイの代表的なキャラクターが初音ミクと一緒に出てきて、プロセカの国歌などと言われる「セカイ・ワーワーワールド・群青讃歌」の構成で歌うのは想定通りであったが、久々の「銀テープ」発射には中々驚かされた。ついこの前のマジカルミライでも「使われるはずだった銀テープ」としてグッズに使われていたので、セカライではその辺の感染対策基準が異なるのだろうか。
入場口に感染対策としては????な謎ゲートが設置されていた事からも、けっこう緩めな対策な気がする。
ただ、幸いにも感染者が出たとか、そういった話は聞かないので、それだけは唯一の救いだったのかもしれない。
過去の初音ミク公式ライブとの違い
セカライを見ながら、様々な演出を考えた時に、そもそもこれはマジカルミライやMIKU EXPOとは全く異なるものなのではないか、と気が付いたのである。それに関して、論じてみたいと思う。
セッションイン・アウトが多い
第一に気になった事は、各セカイユニットから別ユニットに切り替わる時の「セッションイン」と「セッションアウト」という演出に対して、マジカルミライやMIKU EXPOシリーズと真逆の性質を持つように感じたのである。
かつて、MIKU EXPOのオープニング映像、エンディング映像においては「メール」に添付されたピアプロキャラクターズが読み込まれてコンサートが始まり、次の開催先宛てメールに添付されてコンサートが終わる、という「セッションイン」と「セッションアウト」は単一であった。例え、途中「休憩」しても、である。
参考までにHATSUNE MIKU EXPO 2014 in New Yorkより、どういう意味かを説明しようと思う。
また、マジカルミライにおいても「セッションイン」と「セッションアウト」は明確で、始まりと終わりが明白である。参考までにマジカルミライ 2020のエンディングを見てほしい。
実質ミクパのリブランドに過ぎなかった初期MIKU EXPOの頃から、今も継続しているという事は、おそらく主催のCFMがこのような考え方でコンサートを長らく運用しているという事なのだろう。このスタイルのメリットは最初から最後まで「場の雰囲気」をきっちり掴んでくれる、という事である。つまり、特定のピアプロキャラクターズがステージに居ようが居まいが、2時間の間「雰囲気」を出しているのはその総体 (ピアプロキャラクターズ6人全員) なのである。結果として「箱推し」(6人全員を好きになる人) が増えている、ように私は考えている。
一方でセカライは各ユニット/セカイを個々別々のものとして扱っているが故に、持ち曲2曲の為に「セッションイン」するし、演奏し終えたら「セッションアウト」する。5つのユニットが書き下ろし楽曲部分とカバー楽曲部分の2回、つまり10回も「セッションイン」と「セッションアウト」を繰り返しているのである。
(アンコールでセカイを超えたセッションインが実現しているのはこの場においては無視する)
しかし、このシステムは「熱」が冷めてしまう欠点があるように感じるのだ。つまり各ユニットでせっかく2曲使って盛り上げた会場を、各ユニットのミクが「みんなはそろそろ、次の時間になっちゃったみたいだね」とか言って、強制ログアウトさせられるような感覚である。
そして次のユニットの順番になったとき、前のユニットの熱は失われてしまうし、「そこに居ない」ユニットはもはや雰囲気を作るのに協力していないように感じられるのである。したがって、次のユニットは一から雰囲気を作り直さないといけないのだ。更に「中休憩」が存在する事で、ただでさえ上記システムの都合上、熱が冷めやすい環境である中で、より冷めてしまうのである。人間のライブだと所々で休憩挟んでる事が多いので、通常の初音ミク公式ライブがぶっ飛んでるだけかもしれない。
この問題を解消する手段として、中休憩を潰して、各ユニットがゴッチャになったカオス構成でコンサートをやればいい、と一瞬考えたが、やったらやったで各キャラクターの出演時間の配分問題が発生するし、初心者に優しくない構成になってしまうので、各ユニット毎にライブでもやらない限り (その上でゲストとして別のセカイのキャラクターを呼ぶとか)、これを解消する事は難しいようにも感じられる。
向こうが現世に現るか、我々が向こうに旅をするか。
次に気になったことは先ほどの内容の延長ではあるが、セカライが観客をゲームの世界に没入させる、という性質でコンサートが作られている事である。
マジカルミライ・MIKU EXPOにおいてはピアプロキャラクターズが現世に現れる、つまり「召喚」するコンサートとして作られている。歴史的にも「ミクさんの召喚」と呼ばれることが多かったし、その意味においては「拡張現実 (AR) 」としての性質に近いように感じられる。一方、セカライにおいては、キャラクターたちが書き下ろし楽曲セクションを終えた後に次のような発言をしている。
みんなは今、楽しい旅の最中だから。でもきっと、またここに来てくれるよね?
Leo/need – 初音ミク
もう次の旅の時間かもしれないけど、みんなこう言ってるから、また会いにおいでよ。
Vivid Bad Squad – KAITO
では、次の回の公演で、もっと楽しいショーをお見せしよう。みんな、また来てくれるかい?
ワンダーランズ×ショウタイム – 神代 類
ごめん。みんな、また来て。
25時、ナイトコードで。 – 宵崎 奏
これらの後にカバー楽曲セクションが残されていて、そこで再び会うからこのような発言になっているのだが、全ての発言が『「みんな (観客) 」がセカイに行く』という、受け身の発言なのである。つまり、セカライにおいてはセカイが現世に現れているのではなく、観客の側からセカイに没入しているのだ。その意味においてはマジカルミライ・MIKU EXPOとは真逆だし、どちらかというと現実を遮断する「仮想現実 (VR) 」としての性質に近いように感じられる。これはバンドメンバーが黒子として扱われた事にも関連してくる。
隠されるバンドメンバー ~黒子なのか、メンバーなのか~
マジカルミライやMIKU EXPOにおいてはバンドメンバーが紹介される枠がコンサート中に確保されて、それゆえにそのバンドメンバーに対するファンがマジカルミライから発生する、みたいな事も起きていた。遡ればミクの日感謝祭の時代は初音ミク自身がバンドメンバーを紹介してたりもした程に、初音ミクのライブにおいて、ピアプロキャラクターズとバンドメンバーはどちらもライブを作る重要な存在である。
しかし、セカライにおいてはそのような事は一切行われなかった。一応公式Twitterで紹介はしていたようだが、カメラワークもバンドメンバーに合わせるような事は無かった。もちろん、はっきりとした理由もある。Leo/needがそもそも「軽音」ユニットであって、バンドメンバーは言わば彼女らの「楽器」を作る黒子に過ぎないから、である。上記の「セカイに没入する (そこに現実は存在しない) 」というコンサートの性質ゆえに、バンドメンバーは黒子でないといけないのだ。その点、少しばかり寂しく感じる。
もっともこれら全ての違いに対して、性質を考えれば理解はできる。初めに「色々なセカイを観測する旅」みたいな事をバーチャルシンガーとしての初音ミクが言ってライブが始まるし、おそらくターゲットとしている客層も、作りたいコンサートの性質も、観客の我々が「セカイ」に没入し、それぞれのセカイに入ったり出たり、を繰り返すことを望んでいるのだと思う。そもそも、ゲーム内でも「(ゲーム内の)現実」から「仮想」に入り込むというゲームであるのだから、観客にも同じ事を体験してほしい、という事だろう。
セカライは派生版マジミラなのか?
ここまでずっと「過去のライブとの違い」を書いてきたが、今回のライブを見に行く上で、チケットを買ってから頭の片隅で考えていた事は一つである。これは「マジカルミライ」から派生した公式ライブとして地位を確立できるのだろうか、という事である。ただ、上に述べたように、従来のライブとは大きく異なる。どの類型に当てはめが出来るかを考えてみたい。
まず、今回のような既存の初音ミクのライブをベースとしたコラボコンサートは過去に2パターン程ある。
最初に挙げられるのが「初音ミク×鼓童」シリーズである。開催前はセカライと同じく不安視されるところが大きかったが、当日券を買いに来る人がかなり居た事から分かるように、セカライ同様に「大成功」ではあったし、僕も2017年に心配しながら向かって杞憂に過ぎなかったことを感じられた、とても良いコンサートであった。2018年の公演も大盛況だったし、コロナで2020年の公演が中止され、元々五輪関連案件であった事やNHKホールの改装といった複数の要因によって、将来見れるか怪しいのが残念なぐらいだ。
しかし、初音ミク×鼓童シリーズはベースとなったMIKU EXPOの文化圏から大きく異なる性質を持たなかった。超歌舞伎のような独自の文化を生み出す事もなかったし、ネガティブに言ってしまえば「MIKU EXPO with 鼓童」と言わんばかりの普通の初音ミクのライブの延長線上に存在するライブだった。その意味において、セカライがミク鼓童シリーズと同列とは言えない。
ここで取り上げたいもう一つのライブが「あんさんぶるスターズ!DREAM LIVE」シリーズだ。これはCFMが企画制作を担当していた別ジャンルのライブではあるのだが、初期のコンサートはまんまMIKU EXPOのフォーマット上に別のキャラクターを載せて、彼ら彼女らの文化に合わせて開催していた、というのが適切であろう。実はCFM、あんスタ以外にも「Kizuna AI 1st Live “hello, world”」のステージ制作も担当してたり、3DCGゴリッゴリでやるライブの経験数は多い。
確かに、アンコールを呼びかける音や舞台なんかは、マジカルミライそのまんまであったが、セカライは従来とは異なるテーマ、主題、ストーリー性を抱えている。その意味では、セカライは確かに「マジカルミライ」の派生であるかもしれないが、初期のあんスタと同列に扱った方が、カテゴライズの観点から見ると類似性は高いのかもしれない。
一方で、セカライが初音ミクたちのライブでは無い、という事も若干ながら肯定する形になる。
そう、これは「オリジナルキャラクターたち (セガとColorful Palette) のライブ」であって、「初音ミクら (とそのフレーバーを提供しているCFM)」はお仕事で出張しに来てるようなもの、だと。
お金のあれこれから妄想…
余談だが、昔、初音ミクのFモデル1体で洋服の着替えとかのない楽曲 (かつ特殊なモーションじゃないもの、要はマジミラ公募曲のようなデータ) を作るのに、1曲あたり最安300万円はかかる、というのを噂話程度に聞いた事がある。今回のライブはセカイモデル、かつオリジナルキャラクターなので、コストとか権利とか使用料が変動する事もあり、単純な比較はできないが、平気で4人5人の楽曲を連発していたのは事実だ。
そのようなことから、楽曲・レンダリングの観点から見た時、マジカルミライ以上のお金のかかり方がしているのではないだろうか、と思うのである。チケット代がマジカルミライより1.5倍ほど高いことに関しても、上記理由を考慮すると仕方ないと思うのである。それだけマジカルミライは安すぎるのかもしれない。少なくともバーチャルシンガー6人でやった千本桜に関しては、クリプトン6人曲はかなり高額になることから避けられていると噂されていたので、相当、それもマジカルミライ以上にお金が動いている気がするのだ。
「実質S席のU18席を設けて子供にやさしくしよう」とか「コンサートのチケットは安めにしておこう」とか、明らかに「ファン感謝セール」と言わんばかりの廉価設定にしているマジカルミライ・MIKU EXPOとの違いがまたも目立つのである。そしてこれらはCFMが実質的な主催である。
もしかするとだが、セカライにおいて、CFMはあまり出資していない (がバーチャルシンガーの都合上、体裁上の主催になった) 上に、メインの資金源がSEGA/Colorful Paletteなのかもしれないと思ったのである。
あまり財務状況が宜しくない (プロセカで財務が持ち直すぐらいにはギリギリだった) SEGAに対し、サイバーエージェント系のColorful Paletteはグループ全体として見た時に財務状況は安定している。(別会社ではあるが、Cygamesのウマ娘とか)
ゲーム本体において、Colorful Paletteは開発会社に過ぎず、運営やパブリッシャーの立場はセガが持っているはずだが、ライブだけで言えばColorful Paletteの方が影響力を有しているのかもしれない。配信会社のAbemaもサイバーエージェント系である。実はサイバーエージェント系が今回の一番影響を持っていた主催なのでは、と感じる所があるが、これ以上は証拠を持たぬ妄想に過ぎないので読者自身で考えてみてほしい。
感想
と、まぁここまでは従来の枠にハマらないセカライに関して論じてきたが、それに対して僕がどう思ったかを書こうと思う。
良かったところ
楽曲に関しては星4/5段階中だろう。事前に各楽曲のレンダリングデータがTwitterに出てた事もあって、楽曲自体は想像しやすい選曲であったように感じる。サプライズ性が犠牲にされる反面、メインターゲットであろう初心者、ライト層をうまく掴めたんじゃないだろうかと思う。楽曲もきちんとユニットを体現できる曲が多く、文句はない。初ライブにしては上手い選び方だったのではないだろうか。
テーマ性に関しては星3.5/5段階中だ。従来の初音ミクのライブにおいては可能な限り「透明」で居る事を望まれていて、それをCFMはある程度考慮した中で、一度ボカロPの色に染められた初音ミクでさえ、可能な限り透明に戻した上でマジカルミライやMIKU EXPOを実現していた (それがクリプトンフレーバーだった) が、セカライは「誰か (セカイ) の色に染められたままの初音ミク」が初めてステージに立ったのである。新たな試みとしては面白いなと思えた反面、「初音ミク×鼓童」のような「初音ミクのライブの派生」を期待していた僕には期待をネガティブに裏切られたので、若干評価は下がる。
ただ、これに関しては、普段見ぬ初音ミクを見れたことを肯定的に捉える意見がTwitterの「古参」というかインフルエンサーには多かったように思う。ネガティブに捉える僕でさえ、一つの「初音ミクを用いた創作」としては良かったのではと思うことは事実だ。私も、もう「老害」なのかもしれない。
悪かったところ
参加人口層に関しては星2/5段階中である。予め言っておくが、初心者が多くて「ペンライト」が全然振られていないとかは正直致し方ないと思っている。僕だって、MIKU EXPO Japan Tourや、マジカルミライ2016の頃は似たようなものだった。しかし、私が見た公演においてはライブ中に写真撮影してる人がいたり、叫ぶのは禁止なのに叫んでたり…とあまりに初心者としても「民度」が低すぎると思ったが故の評価だ。(Dブロックでのお話)
勿論、これらの「極端な例」は一部に過ぎない事は事実だが、ライブ開催前に撮影してる (本来はダメ) 人は一部というには多すぎる感じであった。したがって、「全体的に民度がよろしくない」と評価せざるを得ない。先日行った桑田佳祐のBIG MOUTH, NO GUTS!! (横アリの年越しライブ) でも、サンリオのピューロランド内の公演にしても、当然に初音ミクのマジカルミライでも、禁止されたルールは「きちんと」守って、「驚き」の声含めて自重するのが当然だったので、本公演におけるあまりのルールの守られなさに、正直プロセカファンの全体に対して深い懸念を抱えるほどである。
ただ、これに関しても当初から予想できたっちゃ予想出来たのかもしれない。通常のマジカルミライ以上にルール記載内容が多かったことから、私のTwitterの一部でも「これは相当荒れる、要は民度が低いことを考えて作ってるルールだ」と言っている人がいたのを思い出すのだ。ライト層の多い界隈は、こうなりやすいのだろうか。
これから
コンサート自体は新たなものに挑戦していたし、人によって肌に合う合わないこそあれど、何かマンネリ化しつつあるマジカルミライから変わろうとしているのは感じたので、映像作品として、そして「初音ミク」を用いた創作の一つの可能性としては観測し続けるべきだと思った。
同時に、プロセカが「初音ミク (ピアプロキャラクターズ) 」から離れていき、オリキャラのゲームとしての方向性を確立させているという事を本ライブでは見せつけられたので、プロセカに対してどう向き合うかに関して考えるいいタイミングになったと思う。
そう、プロセカは同じ「feat. 初音ミク」なProject DIVAの改善した後継ではなく、何か別のものなのだと。ただ、僕は何を言われようが、僕に生きる意味をくれた初音ミクの方にくっついていくと思う。一方で、彼女の「出張」としてのお仕事だろうが、きちんと観測していきたいのだ。
ただ、セカライ 2ndがあったとして、コンサート会場に行くか?と言われればNoだ。正直にここまで民度が宜しくないのであれば、家で配信を見ていた方が良いと思ってしまうほどに、このライブで界隈の違いを見せられてしまった以上、たぶん会場には行けないだろう。かつてのカゲプロのような感じを感じてしまい、ここまで「人」を嫌いになった以上、イベントに顔を出す事は無くなる。
ゲーム自体と初音ミクの文化にスパイスをくれるかもしれない存在としての興味こそ増えたが、ファンに対してネガティブに感じることになった。機会としては残念なライブであったと残念に思いながら、この記事を締めたいと思う。
引用画像元
- 最後のミクの日感謝祭
- MIKU EXPO 2014 New York
- マジカルミライ2016
- マジカルミライ2020
コメント